たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

2045年問題

最近の頭をよぎるテーマとしては、キリスト教、脳というコンピュータ、生命現象などで、関連する書籍を読み散らしている。いずれも核の部分がどこか共通項があって、それをなんと言ったらいいのだろう。人間が出現した根源のところへの問いとでも言おうか。とはいってもそんなに深刻に考えているわけではない。しかしついつい、その辺の問題に関心が向く。

 

つい先日まで、2045年問題に関わる本を読んでいて、ついに読むのを放り出した。本当のことを言うと、バカバカしくなったというのが正直なところで、2045年問題などやって来そうもないじゃないかと気がついた。カーツワイルという科学者が、コンピュータの進歩がこのまま推移すると、ついには特異点を迎えて、人工知能が目覚め、人間を支配するようになるという未来予測を立てたわけなのだが。

 

確かにコンピュータのチップの集積度は、直線的に進歩している(リニア)のではなく、指数関数的に進歩しているというトレンドによく乗る(べき法則)。構成するトランジスタの体積も、リニア的ではなくべき法則的に小さくなるのだが、いずれ原子数個からなるトランジスタを考えなければならなくなる(それを開発するということだ)。量子の世界に突入する。その先は素粒子トランジスタなのか?さらに超ひもトランジスタを作ることになるのか?

 

そんなことは到来しそうもない。物理学ですら完全には解明できていない超ひも理論を応用した素子の実用化など考えにくい。あるいは、そんな科学技術が進歩するもっと前の時代に、人工知能の知性は全人類の知性を超えてしまう特異点を迎えるとでも言うのだろうか。2045年問題と言っていることは、つまるところトレンドを示す線を未来に外挿してみただけの話じゃないかと思い始めたわけだ。物理的限界や不可能性に突き当たる前に、トレンドラインは飽和していくだけのことではないのか・・・そんな思いにとらわれる。

 

コンピュータが進歩していき、パフォーマンスが劇的に向上すると、ある日理由も分からず、人工知能の自意識が目ざめて自ら思考するようになる、というふうに考えているようすなのだが、そんな素朴に意識が目覚めるのだろうか。意識があるとは、どのような条件をクリアして、検証出来るのだろうか。脳の機能すら解明できていない現在、それを模したコンピュータが、ある日自律的に思考を始めるとは、楽観的過ぎやしないだろうか。