たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

風景画は盛ん?

絵にまつわる仕事をしていて、驚きとともにわかってきたのは、この地域で絵を描く人のほとんどが風景画を描かないという事実です。その理由は定かではありませんが、推察するに2つの理由があると思います。


ひとつは、信州や駒ヶ根の風景がきれいだ、魅力的だと認識していないふしがあること。景観が悪いとか風景が汚いとかの意味ではありません。そもそも風景を描く対象として観ていない。したがって絵の対象として意識にのぼっていないのです。


もうひとつは、地域で教室等で絵を教えるプロの人たちやそれに準じる人たち自身が、風景画を描かないことです。


風景をうつくしいと感じなければ風景画は描きません。東京からやってきた自分としてはこの地の自然を無条件で美しいという気持ちを抱きます(それが絵を描き始めた動機でもあります)。しかし、もともとの出身の方は、へぇ、そんなものですかという反応がほとんど。


また先生が描かなければ生徒も描きません。したがって一つ目の理由は、二つ目の理由にもつながっていきます。さらにこのような状況にあるこちらの展覧会などでは、風景画は少数派であるかまったく風景画がないという不思議なことにもなっています。見に行ってなにか変だと思いつつ、ようやくたったひとつの風景画の作品に出あって、ああそうだった風景画がなかったからなんだと気づくことがあります。


風景画がなく細密画を描く人もほぼゼロなので、作品といえば抽象のような心象画(?)のような絵画ばかりという状態になっています。つまりはリアリティを訴えるような絵画の世界は遠ざけられていると感じてしまうのです。作者の内面世界の表出という作品が並ぶことになってしまいます。風景を描くことは絵のモチーフとしては魅力のないものという根本の認識があるかもしれません。


なのではっきり言って、一般の絵の愛好家たちの参加と共感を得にくくなっていて、自然にそして素朴に絵を楽しむという生活に密着した絵のあり方とは、ずいぶんと遊離していると言わざるを得ません。このことは、リアリティを表現するための絵画の基本やデッサンなどを勉強するという訓練の部分においてもいろいろと影響しているようです。基本のないようなデッサンやヌードを見せられることにつながっています。


海外の作家に目を転じると、風景画の画家やリアリティを追及している画家がじつに多いものだと驚かされます。しかも形をとり表現する技量において驚嘆するような作家がたくさん活躍しています。素直にすばらしいと感じる水彩画などがゴロゴロしています。そしてこれが絵画を楽しむ本来の姿なのではないかと気がつくのです。