たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

好きな絵は、何に反応しているのだろう

好き嫌いといっては身もふたもないのだが、じっさい一方で好きな絵というものがあり、その対極に上手いけれど好きにならない絵というものがある。この辺の違いは何によるのか、まだよくわかっていない。


絵を描くとき、上手と下手があって、できた絵を見るとき、好きと嫌いがある。上手な絵が好きな絵に対応しているかと、必ずしもそうではない。でもエゴン・シーレのような天才的に上手いデッサンの線に、心動かされることもある。


こんなことを考えているのは、じつは理由がある。とあるスケッチ指導書の絵がとても巧みに描かれていて、いわゆる上手な絵なのだけれど、ちっとも面白くない。どのように建築パースなんかを説明しているのかなと無理して買ってみたが、やはり見たいと思わない。それはなぜなのか、この前から考えている。


たぶん、どんどん描けてしまう方なのだろう。本もたくさん出しているようだ。だから絵にひっかかりのようなものが感じられない。さらさら描いたスケッチには、線の躍動感とかが感じられない。手慣れてしまった感がある。それがどうも臭みのように感じる。だから見たいと思わない。


説明もなく、ただ目の前に絵だけがポツンとおいてあっても、ある絵はこれが描きたいのだという気持ちがこもっていると感じ、別の絵は淡々と流して描いているとかがわかる気がするのは、いったいなぜなのか。見る側の思い過ごしや好みなのか、または見る人に共通して与える客観的なものがあるためなのか。


たぶん人気のあるような作家は、後者のようなタイプ。見るものにしっかりと何かが伝わっている。流して描くようになると見抜かれる。恐いものだ。