たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

どこを目指して?

先日、絵画教室でカッパビーナス像の木炭デッサンに取り組んでいるときに、先生からふと問われた。木炭デッサンを勉強することが、水彩画にどのような影響を与えそうか、あるいはすでに与えているか、という問いだ。微妙でかつ重要なポイントで、じつはこのところ心の中で反芻していることがらだった。


スケッチや、これまで描いてきた水彩画が目指したものは、たぶん対象を取り巻く「空気」をとらえ表現しようとすること。眼に飛び込んでくる印象を定着化しようとする部分に力点が置かれる。しかし木炭デッサンは、じつはこのようなアプローチでは壁にぶつかる。眼に見えたままをカメラのように紙に定着させても、たぶんデッサンとしては半分しかできていない。自分と像との間の空気を描いた段階で満足するのでなく、よりもっと先に出かけていって、その像の裏側まで回り、触り、立体の成り立ちを理解した上で、その理解した石膏像を表現しなければならないと感じる。


たぶん水彩画でも同じだ。地に足の付いた実在としての風景をまるごと飲み込んで、それをもとに表現に向かう必要があるのだろうな、という予感がしているのだ。そのためにはどうしたらいいのか。


先生にも答えたことだが、表面をサラッととらえた作品と、もっと踏み込んで実在をつかもうとしている意欲的な作品とは、はっきりちがっている。そのちがいがすぐ見えるようになってきたことは事実。教室にかよってきた意義があったと。


先生は、しばらく模索するうちに今までの透明感を生かした水彩画から、汚れて濁った水彩画の世界に足を踏み込むこともあるかもしれない。でもそのような模索の中から、「強い」作品に変わっていくとも言えるでしょうというコメントをいただく。内容が濃い。



駒ヶ根田園風景(8月中旬頃)・・・9月現在、稲刈りが始まりました