たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

ある能力

どんな動物、植物にも環境適応能力がある。周囲の環境に自分を合わせ、あるいは自分流に環境を構築する。これにより環境と自分との間に生ずる摩擦にバッファ層を設け、暮らしやすく快適にする。


人間にもこの能力は備わっているが、その能力の働くスピードには個人差があるように思う。振り返って自分はスピードが速かったのか遅かったのか。


先日、検査を待つ病院待合室で、その能力について思いをめぐらせた。待合室に入った当初は、そこは「他人の領域」だった。しかしその待合室で本を読み、歩き、トイレに出かけ時間が経過するうちに、しだいしだいにそこに「自分の領域」ができてくる。自分のイス、手を乗せているテーブル、本を置く場所。しだいに自分が支配する領域にみなすようになる。そこに「安心」を擦り込む。


人のお宅を訪問するとき、そこは完全に他人のエリアだが、「どうぞくつろいでください」というのは、自分の安心できる領域としてみなしてくださいという意味だ。いつまでも身を堅くしていれば、打ち解けない人になってしまう。


結婚して相手の家に入る嫁は、どのくらいの時間で最低限の自分の領域を形成するのだろう。あるいは早々に、相手の家全体と家族を、自分の安心領域として飲み込んでしまうのだろうか。


もともと自分の領域であったはずの場所が、自分の領域ではなくなったら、あるいは自分の領域がしだいに減っていったら辛い。自分の安心な居場所が失われていく経験。ウツ状態が苦しいのは、実の空間のなかで居場所がないばかりか、思考空間のなかでも自分の居場所を失い存在意義をなくしてしまうためだろう。



8月15日 諏訪湖の湖上花火より