たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

もう還暦だったのね

ネット友のBLOGに、もうすぐ50歳の大台が目の前に迫ってくる!という記述があった。そういえば自分は(どの)BLOGにも一度も話題に取り上げなかったな。7月に還暦を迎えてしまったのだと。


もちろん家庭内では、あと6時間で50代も終わりだとか、あと2時間だとか、新年のカウントダウンみたいに騒いではいた。そして還暦が明けた朝から「もう60のジジイです」と挨拶しようかななどとふざけていた。でも不思議と記事にするような気持ちにならない。プレゼントを何にするとか、食事会でもやるかとか、そんな普段と変わらぬ騒ぎで終わってしまった。


50の大台にのるときの心境とは、かなりちがう。40代から50代へ移行するときと、60代に移行するときでは、それぞれの出発点がちがうものねと思う。前者の場合は、本当に盛んな年代から老齢へ近づく惧れみたいなものがあるかもしれない(あまり思い出せないが)。


しかし還暦のときは、もういいや、みたいな気持ちが生まれている。円熟というわけじゃない。しっかり自分も高齢者の一員になったという自覚があるみたいで、なにも騒ぐ必要ないじゃないかと思う。


振り返れば、どんな時代でも、なにも大げさに騒ぐ必要はなかったという感情もある。死んでしまうときは死んでしまうのだし、希望だの気分だのと、ぐちゃぐちゃしたものを原動力にして生きているわけじゃない。


先日、大腸がんの疑いがあるということで、精密検査を受けにいった。まる一日検査漬けになった。じつはこの何ヶ月前から(特に胃腸の)体調が悪く、腹が張るし痛みもあったので、こりゃいよいよ状況は悪いのかなという予感があった。しかし自分でも不思議に感じたのは、それでも人生80年の計画を立てなきゃだめだという思いに駆られていた。検査を待っているとき、ずっとPhotoshop(画像処理ソフト)の参考書を読んでいたくらい。


そのときの気分を思い返すと、死んでしまうときは死ぬだけなんだろうな、体が健康ならば80までは生きるんだろうな、という他人事みたいな感情。無論やりたいことはたくさんあるし、まだ成し遂げたいこともある。でも駄目なときは駄目。そのときジタバタするかもしれないが、ただそれだけ。推察するに、おのれを越える神の存在を受け入れたかも知れない。