エゴン・シーレに取り付いたもの
NHK放映のエゴン・シーレの番組を見たお客さんが、すっかりシーレの魅力に取り付かれてしまったらしい。今日お店にやってきて、お店においてある小さなエゴン・シーレの画集を眺めて、さらに感嘆の度合いを深めているようだった。でも自分が驚いたのは、エゴン・シーレの魅力に惹かれてしまう感性が、絵の勉強をはじめたばかりのこのお客さんにあることだ。他にも取り付かれている若いお客さんを一人知っている。
エゴン・シーレの絵画やドローイングに惹かれてしまう感性が、どうもこの世にはしっかりとあるのではないか、と思うようになった。通じない人にはまったく通じない。しかし通じる人は虜になってしまう。その感性のことをいく度か言葉にしたいと願ったが、困難だと分かった。虜になった人にしか通じない暗号みたいなものになるのだ。
その暗号のひとつは、美しい形への研ぎ澄まされた感性。美しいという表現はやや当たらないかもしれない。「究極の領域に行き着いた鍛え抜かれた形態」を、これぞ究極の形だと感じる感性。
2次元とはいえ、無限の選択肢のある線のなかで、たったひとつ選ばれたものがドローイングに描かれる線だ。こう描かなければならないという厳しい究極の選択がそのなかに息づいている。それを外したものは基本的に甘い。甘い線で描かれたものはどこまで行ってもまとまらない。ゆるいといったらいいのか。緊迫感を持ち得ない。
エゴン・シーレの線には常にギリギリまで張り詰められた緊迫感がある。それが心地よいと同時に、苦しく痛いとさえ感じる。皮膚のすぐ外側の空気がもし、塩酸のような刺激物からできていたら、皮膚の形態はこうなるだろうと想像させる。