たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

10年ごとに訪れる

人間の心境というのは10年くらいの周期で変化するのでは、と思うようになりました。厳密にちょうど10年ということではなくてだいたい目安です。


孔子の有名な言葉として、「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」というものがあります。
なんとなく区切りがいいので10年刻みなのだろうと思っていましたが、いま10年という区切りに意味があるように感じています。


自分自身の場合、初めて自分の心境が大きく変わったと感じたのは52歳のときでした。これまで気持ちの成熟がいつも遅い自分は、個としての自分に対峙する絶対者というか神というか、そういう大きな存在があるということに、何となく気づき始めていました。ふと気がついて、目を上げたら大きな存在が自分の前に立ち塞がっていたという発見です。


そしていま還暦直前になって約8年経過したわけですが、今度は大きな存在ではなく、隣にいる普通の人間の存在というものを強く感じている日々です。別の言葉でいえば、自分も周囲で生きている隣の人間と同様に、なんら特別な存在でなく普通の人間だったという感覚です。それまでどこか特殊な存在として自分を扱っていた気分があったのです。しかし特殊性が生まれる根拠は、結果としてはほとんどなかったということです。


論語の「60にして耳にしたがう」とはどのような意味なのでしょう? おのれの耳に聞こえてくる(苦い)言葉でさえ受け入れるという意味のようにも思えます。わかりやすく言えば、オレがオレがとやってきた「我の人生」がそろそろ終了をつげ、人がいう言葉にも一理あるなと心から思えるようになる、つまり自分の存在が相対化していくという風に考えると、とても深い心境を表わしていると感じています。そのことは、人間が平凡になってつまらなくなったのではなく、より高くより深い世界が横たわっていることに気づいたということでもあると思うのです。