たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

このごろの社会現象を不思議に感じ

先日のニュースでは新卒の就職率が80%と報じられていた。中高年のリストラや派遣切りなどの勢いも止まったのかどうかわからない。《仕事ない》現象は、若い世代だけではない。日本中で不景気のあおりを受けて、仕事量が減り失業者が増えるという図式に見える。だがそれは本当のことなのだろうか。


介護や福祉の分野では、仕事がきついために長続きせず仕事を離れる人が多いらしい。だから担い手を探しているし、人手不足という話も聞く。医師不足で産科婦人科が開設できない病院の話もある。


正確なことは検証できないが、騒がれているニュースからの印象では、仕事を求める人と、人手が不足している分野があっても、それを結びつける仕組みが今の日本の社会には欠落しているらしい。


長いスパンで言えば、医療問題や介護福祉の課題、環境、新分野の創生の必要性など、ずっと前からわかっていたはずで、突発的に湧き起こった問題ではない。年金の問題も何十年という時間のスパンで予測できる。人口分布を見れば生まれて勤労世代となるまで20年弱もかかる。どんな事態が招来するのか容易にわかる。


でも来る未来社会のグランドデザインを考える人がいなかった。あるいは考えようとしなかった。そのツケが、土壇場に来てドッと押し寄せてきたという感がある。なんだか人間が小さくなったのだよね。自分も含めて個人生活に埋没してきてしまったというか。社会の大きな問題を論ずるのは、ちょっと気恥ずかしいという社会の風潮すらある。


社会人といっても大部分がサラリーマンという身分で、ひたすら社内のなかで生き抜くことばかり考えてきた。会社も効率と利益優先でそれを当然としてきた。一流企業の労働者の3割が派遣労働者という悲しい実体もある。不景気になり企業の利益が危うくなれば、労働者の契約を切ってしまうのがいちばん手軽な手段となった。で、痛みも伴わない。このような社会が豊かであるとは到底思えない。


グローバル経済という言葉は新しくて美しいが、要するに他国の安い労働力を使って利益を上げるということと同義だ。労働賃金のサヤを利用しているだけで、格差の利用ということだ。世界の工場といわれた中国が経済力をつけて、労働賃金が上昇してしまえば、今度はベトナムへあるいはアフリカへ。イナゴの大群が餌のある草原を求めて大移動しているのとあまり変わらない。


資本の論理に従い、お金を増やそうとすればこのような現象は当然起きてくる。それを制限して、真に豊かな富の片寄らない社会を築こうとすれば、高い理念とビジョンを掲げるしかないと感じる。それはまた、はるかに大変な時間と努力を要求することではあるのだがそれが出発点だろう。


30年くらいのスパンで問題となる課題点はなにか、必要な対策はなにか、そのためにどのような産業を作り出すべきなのか、そのために教育は何を目指し、どのような人材を創出すべきなのか・・・そろそろ真剣に考える時だと思うのだが。韓国や中国と比較して日本は地盤沈下してはいないだろうか。手遅れにならないうちに・・・