たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

残るのは苦労したものだけ

仕事は休みだけれど、外は雨降りでスケッチに出かけるわけにもいかない。今度描こうとしている水彩画の水貼りでもやろうかな。


これまで振り返ると、苦労したことだけが自分の血となり肉となっている。簡単に手に入るものは簡単に忘れて失ってしまう。深い体験だけが深く脳に刻まれる。


ちょうど6年前にPCを買い、自分の絵画サイトを作ろうと思った。ネット環境を整えるのさえ覚束なかったが、HTMLやCSSの本を買い始め勉強した。高価なPhotoshopを買って使い始めた。どれも独学には困難な分野だった。おかげで棚が埋まるほど参考書が増えた。


でも始めなかったら、それらは今何にも無いわけだ。BLOGを始めることもなかったはず。そのような人生を想像するのは難しい。デジカメもiPodiPhoneも、たぶんいま使っていない。抜け殻のような生き方をしているかもしれない。


何かを始めるのに、これは無駄になるかもしれないという考えが頭を擡げる。こんなことして意味ないんじゃないの?金の時間の浪費だよ。でもそれは始めない人の言い分と思う。その人には浪費にしか見えない。なぜならその世界がないのだから。スキーをやらない人にとって、なぜ苦労して寒いところに行って遊ぶのだと思うだろう。やる人はそんなことは考えない。楽しみの世界を理解したから。


浪費という立場をとるなら、生きていくあらゆることが浪費になる可能性もある。人生のファイルを開いて、浪費と思われるものをひとつづつ削除して行った先に何が残る?最低限の生きる機能と使わないお金とあり余る時間だけが寂しく残っている?脳は働く場を失って楽ばかりできっと機能縮小する。


苦労したことだけが脳に刻まれ、人生の宝、思い出となる。