たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

こころのエネルギー

かつてサラリーマン時代に、恣意的な悪意ある言動を某一派から仕掛けられて立ち往生し、ほとんどノイローゼ状態に陥った経験がある。当時の上司は、おまえはノイローゼなんじゃないかと訊くなり、即役職を解いた。自分はそんな状態ではないと内心思ったのだけれど、まあそれが客観的な状態だったのかもしれない。その上司は男性的といえば言えなくもないタイプ。まあ人情の機微には無頓着で、ダメなヤツは切るというシンプルな基準で仕事をしてきた男だ。


そういう状態に陥ったときの心理はイヤというほどよくわかる。自分は強気でいても、こころのエネルギーが極度に消耗して低下しているのだ。エネルギーが低下するため、通常の冷静な判断や、行動への意欲というものが湧かない。むろん創造的なアイデアなんか思いつきもしない。しかし自分の状態は客観視はできないもので、自分は変化していない、いつものとおりだと感じている。だがジワジワと周囲と自分との齟齬を感じ始めるのだ。なんだかおかしい、どうも言葉が通じていないと焦りが膨らんでいく。周囲の世界から自分だけがその場からドンヨリと沈んでいく。ほら、ちょうどゴムの膜を張ったところへ鉛の玉(これが自分)を置いたみたいな感じだ。自分の周囲の空間だけが歪んで自分がずり落ちていく。


今だからはっきりとわかるが、そういう状態において大きな判断はしてはいけない。所詮、正常な判断は出来ていない。あがくほど傷が深まるのがおちなのだ。でもそこから脱出しようとして、いろいろと調べたり本を読んだりする。でもなにも役には立たない。その理由は明白だ。普通に考え普通に行動する「こころのエネルギー」を失っているからだ。だからやることなすこと裏目に出てしまう。そして周囲とかみ合わない自己の姿を自覚するほど、こころのエネルギーをさらに減らし自分は疲弊する。


どうせ今あがいてもダメなんだと、焦る自分に諦めさせるのがいちばんいい。今は自分は正常じゃない。だから判断しない。ひたすらエネルギーを蓄積する時期なんだと言い聞かせるのがいいのだ。一見すると消極的な感じがして、解決になっていないと感じる。だがバッテリの切れ掛かった機器を正常に動作させるには、電源につないで満充電まで待つしか手がないものだ。


普通になるにはこころの体力が必要なのだ。普通にものごとを見つめるにもエネルギーが要る。なにかすごい解決策や秘策が必要なわけではない。ただ単純にバッテリ切れだということだ。長いサラリーマン生活の中で、このような状態にその後いくどか陥った際にも、エネルギーの充電を自分に言い聞かせることで最悪の事態は回避したと思う。どうせ今はダメなんだと言い聞かせるのは、正常になりたい自分の気持ちに反していて、ちょっと逆説的に聞こえる。しかし焦る自分を突き放すことが、自分を救う最後の砦だ。


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