たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

机の上に散らばったもの

自分のデスクの上には、新聞からの切抜きや、なにやら計算して途中になっている紙片、絵画展の開催案内ハガキなどが散らばっていて、まだ自分の内部で解決や決定できていない事項が、さながら頭の中から現れ出てきたような様になっています。その中に、紙に具体的に書かれていないけれども、会社とはなんだったか、現在の経済のあり方は何なのかという疑問が埋もれている気がしています。


会社は利益を得てナンボのものですから、もてる資本やリソースを最大活用して、利益最大を目指します。またそれを自明のこととして何の疑いも持ちません。会社の第一命題は利益です。しかしそれを承認してしまったがゆえに起きてくる事象ということを、なんだか正確に把握していない気分が、会社を退職した今もモヤモヤとしているのが正直なところです。いや会社から離れてしまった今だからこそ、正確に客観的に問いかけられるかもしれないとまで思っています。


いきなりですが、かつて生産工場を中国に求め、その安い人件費ゆえに強いコスト競争力をもち、格段の業績を上げる会社が後を絶ちませんでした。それはそうです。製造原価の中の人件費が桁違いに圧縮できるのですから、われわれ日本人からすれば、「なぜこんなに安いのか!」と驚くばかりの製品が生まれます。


グローバル経済は良いことであるというのは、つまるところ人件費の低い国で生産すれば、コスト競争力が高いということです。その競争力の源というのは、日本と中国の労働力に対する価値の違いということになります。この格差がなければ競争力は生まれません。「サヤ」を取るビジネスモデルだということになります。


日本の製品の競争力が高まることで製品の生産数や販売数が増え、日本企業は利益を得て、中国においては仕事が増えて向こうの方でも豊かになっていきます。また技術を供与されるようなものですから、それらを真似て類似品を作る力を蓄えていくこととなります。したがって、「サヤ」により儲けることで、「サヤ」が減るという矛盾を抱えています。中国の人件費が上がれば、やれベトナムだ、ブラジルだ、アフリカだという低労働力を求めてさまよう連鎖が始まります。


格差が利益を生み、格差が縮小すると、格差を維持できる国なり国民を求めてさまよう。なんだかバッタの大群が豊かな稔りのある土地に襲来して、食い尽くしているようなイメージを抱いてしまいます。あるいはねずみ講のように会費をピンハネ(搾取)し続けられる限り上部会員には儲けが出るのですが、ピンハネ対象はなくすわけにはいかないのです。つねに弱い部分から吸い上げているという構図は共通して同じだと感じるわけですねぇ・・・


そして本当に素朴な疑問ですが、これは永続し得ない存続の仕組みなんじゃないかということですね。永続しない仕組みに乗っかった経済って、仕舞いにはどんな結末になるのでしょうか。たぶんこれまでのようには豊かに暮らすスタイルは維持できなくなるだろうと思われます。どこまで低下するかといえば、究極的には自給自足の経済のレベル、自国でつくり自国で消費する経済レベルではないかと想像します。輸出品の競争力も各国横並びになってしまったとすると、とくに抜きん出た競争力がない状態となれば、自国で消費する分だけの経済活動のレベルに戻るということです。つまり江戸時代のような鎖国状態の経済に近づいていくのではと想像します。


江戸時代が終焉をむかえ、開国により富国強兵を図り、より弱国を支配することで、「サヤ」で利益を得たというのが、この近代化の図式ではないのかなぁと思うわけです。それはいつまでも長続きしないということも同時に。あるときから儲けの図式を転換する必要に迫られるのだろうと。つまりこれまでのような豊かさは消えていくという予感です。


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