たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

思わず拾い読み

アパートに蓄積した大量の書籍の整理整頓は、ちっともはかどらない。その理由は簡単で明瞭。ズバリ拾い読みが始まってしまうからだ。今日は川北義則さんの『人生後半の設計はこうしなさい―頭で考える定年後と現実との違い (青春文庫)』が面白く読み始めてしまった。う〜ん、こんなことやっていていのか、ましてブログなんか書いていて・・・まるで試験の前夜に小説を読む受験生の様だ。

  • 資産何億円という大金持ちのひとり暮らしの老人が、閉めきった暗い家の中で、預金通帳を握りしめながらひっそりと死んでいた、というニュースに接するたびに、お金というものはかくも使うのがむつかしい代物なのかという気分になるが、だがしかし、そんな人生の何が愉しく、どこが面白いというのだろうか。四〇年あまりの働きづめの人生から解放されてもなお、爪に火をともすような生活を送りながら資産を守ったとして、なんの意義があるというのだろうか。(p27)
  • 中小企業診断士社会保険労務士といえば、いわばホワイトカラーだが、サラリーマンがこんなホワイトカラーに資格を求める気持ちはわかるが、現実に役立つのは電気設備や危険物処理、ボイラー関係などのいわゆるブルーカラーである。実務経験のない、机上の空論だけの中小企業診断士に、いままで会社経営に辛酸をなめてきた経営者がお金を払ってまで相談するだろうか。(p79)
  • 一般に、資格は「足の裏のコメ粒」といわれる。そのココロは「取っても食えない」。(p76)
  • 明治の俳人正岡子規結核という死の病を得て、床に伏し血を吐きながらも、死ぬまぎわまで歌をつくり続けた。その正岡子規を評して司馬遼太郎は、小説『坂の上の雲』(文芸春秋)のなかで、「人間というこの痛々しいいきものは、どうやら仕事をするために生きているものらしい」と書いている。(p46)


かつてこの著書、読んだようなかすかな記憶があるのだが、改めて読み直すといちいち言葉が胸にズシンと来る。そりゃそうだ、自分のことを言われているようなもんだからね。


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