たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

最後の東京滞在になる?

何日ぶりかで東京に戻った。戻ったという言い方は、本拠地が東京にあると表明しているみたいで、本当はちょっとおかしい。でもつい言ってしまう。家内でさえ、いつ東京へ戻るの?とか訊いてくる。


今回は、東京の拠点のアパートを引き払うための片付け、引越しのためだ。これが終了すれば本当に信州へ引っ込んでしまう。正真正銘の信州人の出来上がり。


昔から多動性のきらいがあった。時間を自由に使えるようになってその傾向は強まったと言わねばならないだろう。雑多なことをいろいろとこなしながら日々が過ぎていく。


先日は耕運機デビューをした。新規に小型の耕耘機を購入し、畑を耕した。いつもはクワで耕していたのだが、面積を一気に3倍くらいに拡大した。有機肥料(つまり牛糞である)と土地改良剤(中和剤)、化成肥料を鋤きこんで放置中。野菜の自給生活に接近しようという魂胆だ。


また絵画教室の5月の展示会に向けて、M6号の額縁も自作してみた。マリンの額縁が手に入らないのではと、早めに手を打ったというわけ。どうも調べてみると、正確に45度に材料をカットする電気ソーと、飾りをつけるルータがあれば、出来てしまいそうだ。でもこれを本職にするわけではないから、まあちょっとイタズラの域を出ない。


バラの花束の水彩画の着彩も進めている。おとなしい感じの平凡な花の絵になりつつある印象で、何とかしなければならない。永山裕子さんのようなゾクッとする花の絵が描ければいいなと思う。またリャドのような絵の具を投げつけて描いた絵もいいなと思う。でもそれでは自分の絵ではない。結局は、自分の感性でこれだと思えるものを突き止めなければならない。


ともかく、絵にはどこか偶然性が必要と思う。画家の意図が完全に実現されて支配しつくした絵画というものは、つまらない。絵が静止し死んでいる。制作した者の意図を超えて出現する何らかの要素に、本当の魅力があるように思えてならない。かといって始めからメチャクチャでは絵にならない。画家の技量の出尽くした先に、その先の何かが現れるという言った方が正確かもしれない。まあこのへんのことは、引き続き考察してみようと思う。


それにしても支離滅裂な日々ではある。


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