たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

気分という楽しく厄介なもの

その昔読みまくった書籍に、森田正馬氏の神経症に関する書籍がある。ひとことで言えば、神経症の縛りから回復するには、「気分主義からの脱出」、「目の前の現実への回帰」が必要と説く。こう言ってしまえば簡単なことに思える。しかしそれを実生活の上で実践できるかというと易しくはない。そもそもこれらの言葉すら難しくて、すぐわかるようには思われない。理解できりゃ神経症になんかにならないよとも言える。理解できれば回復している証拠でもある。


気分主義という森田博士の言葉を少し説明すると、生活の場面で感じている自分の気分に支配されてしまうことを言う。嫌なことや不愉快なことに出くわすのが日常だが、この気分にこだわってあとをひいてしまう。なぜこんなに気分がわるいのか、頭の中がその一点に固着してしまう。現実の世界は次から次と臨機応変に対応していかなければいけないのに、なぜ気分がよくなかったのだろうとそのことばかりになる。


不都合な出来事があれば気分がすぐれないのは、当たり前の事実だが、いつも気分は最高でなければならない、と決めつけているようなところがある。こころはそんなに固定したものじゃない。いいことがあれば喜ぶし、嫌なことがあればへこむ。嫌なことばかり続けば滅入ってしまう。それが心の真実の姿である。古来、心の遷り変わるさまを、「鏡」や「水」に喩えてきた。鏡の前に犬がくれば、犬を写す。乞食が来れば乞食を。そこに何の軋轢もこだわりもない。


いつでもいい気分でなければいけないと頑張るから、心が停滞する。淀む。いつも最高でなければならないというのは、「理想」であって頭が作り出した観念である(と森田博士は説くわけだが)。現実に対して観念で対応しようとしても、それは逆立ちをして歩いているようなもので、いずれ行き詰まる。気分を中心に生活すれば、そのこだわりに振り回されてしまう。


森田正馬氏の言葉には、簡潔にして要を得たすぐれた言葉が数多くある。でも若い頃は正直、その優れているゆえんはよく理解できなかった。いまならもっとよく理解できるかもしれないなと思う。この話題は、改めてとりあげよう。


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