たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

鬱ってなんだろう その3

昔は、鬱というととんでもない精神の病気で、口にするのもはばかるような雰囲気があったように思う。今は、ずいぶんオープンに語られるようになった。隔世の感があるね。書店に行けば、ウツのコーナーが出来ていて、こんなにも書籍が出ているのかと驚く。


じつは自分の身近に重い鬱を患った人がいて、もう何十年と闘病している。救急車を呼ぶような大変な事態も過去にあったし、また何時間も相談にものった。実母にもその傾向があったように記憶する。家系には、たぶんそういう性質というか、気質が関係しているように思う。


もう何十年の昔だが、相談にのったとき、考え方が堂々巡りしていて、出口が無いなということが印象的だった。つまりあれこれとアドバイスしても、それはこういう理由でダメ、あれはこれこれなので出来ない、とことごとく跳ね返される。この人はよくなりたいと真剣に考えているのだろうか。傍から見ていると、いかに鬱に罹ることが正当で、そこには出口が無いのは正しいことである、と主張しているかのようにも感じた。


頑なに」思い込んでいるところがあると思う。気持ちの柔軟な切り替えや、考え方の変幻自在さを身に付ければ、苦しむことはないのに。
絶対に」出来ないとか、「永遠に」変わらないとか、「もう終わりだ」とか、こういう思考回路が鬱には関係しているように思う。


生きたいと思っているのに、思考回路がそれを否定する。アクセルを踏みたいと思っているのに、自分がブレーキを強く踏んでいる。エンジンは全力で回転しているのに車は進まない。いつかガソリンが無くなる事態になる。


ひょっとしたら」出来るかもしれない、「いつか」いい方向に変わる、「世の中は流転する」という感覚が身に付けば、心のエネルギーを消耗することはないのだけれどね。


頑なな考え方からすれば、ずいぶんといい加減に聞こえるかもしれないが、この世界のあり方は、かなりいい加減だし、自分自身だって徹底的に検証すればかなり曖昧さやいい加減さを内在しているものなのだ。そんなことを感じたわけだけれどね。


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