たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

夢と遊び

明け方に夢を見たなと思いつつ、たいていはすぐ思い出せなくなってしまう。メモをとったり、意識しないと夢を見たことすら記憶できないものなんだね。ひょっとしたら毎日夢は見ているかもしれない。
この前は、職場(かなり昔の職場)で、好きでなかった男がなぜか自宅の隣の部屋に居るという夢を見た。寝ていて目が覚めると、聞きたくもないその男のしゃべり声が隣室からするという夢で、目が覚めたのにまだそれが夢の中なのだ。手が込んでいる。


新聞の記事だったかTV番組だっかた定かでないが、動物は子供のころにとにかく遊びまくり、じゃれまくるという話を聞いた。クジラがジャンプして海中から飛び出すのも、歌を歌うのも、目的はまだ分からないそうだけれど、単純に遊んでいるのではないだろうか。
生存のために獲得すべき身体能力や脳細胞の活動を、常にトレーニングして最高の状態に高め、維持する目的があるのではないかと思った。生存のために遊びは本質的なもので、遊びの中で能力を鍛え、トレーニングし、拡大もする。


そんなことも関連して、夢はあんまりその内容に意味はないのではないかと最近思い始めている。これは勝手に脳細胞が持てる能力を使って遊んでいるだけじゃないかと。これだけ四六時中活動している脳細胞が、寝ているときだけ活動を停止するとは考えられないのだ。つねにトレーニングしてすぐ活動できるようにアイドリングしているだけで、その内容はデタラメで突飛のないもの同士が絡み合っていたって構わない。手近にある素材をどんどん結びつけてイメージを作ってしまう。遊びだったらなんでも実行してしまうし、それこそ朝飯前だ。


意識して思い出せる記憶は限られている。何かのスイッチが働いてポンと記憶の蔵から内容が出てくる。混乱を避けるためにたいていのものを思い出せなくしているようにも思う。普通の状態では記憶は深いところに収納されている。夢を見ているような脳の遊び状態の最中だけ、ランダムに記憶を使ってしまうのではないかな。



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