たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

わかるということ

知らなかったことを、ボクたちはどのようにして知るようになるのだろうか。
無論、知識レベルの話であれば、その手の書物を見るなりネット検索すれば使われている意味や新しい情報は簡単に手に入る。このケースは、自分の所有する知識を増殖させる方向だから、所有主体である自分の生き方とか考え方などを変化させる必要はない。つまり知識を得る主体が何ら影響を受けずに、持っているものを増やすだけのことだ。


問題は、自分自身に関する知識や認識をいかに知るようになるかだ。今まで闇というか、その存在すら意識していなかったものを、どのようにして自覚し高い認識レベルに到達するかということが、とても難しくまた様々な問題を引き起こすおおもとになっているのではないかなと。


知る主体である自分と、知られる対象物を2つに分離してしまえば2元論になって、その架け橋がどうなるのだとカントは考えたみたいだけれど、知る主体が知られる客体と同一の場合は、とてもややこしくなる。


おのれ自身を知る度合いの深い人は、浅い人のことは手にとるように分かるのではないか。しかしその逆はない。従って対等に向かい合っていることにはならない。おのれの境涯はおのずと外に出てしまう。深い人に向き合うとき、それは恥ずかしいことであるし恐ろしいことでもある。ただ謙虚に努めていくしかない。そのギャップを埋めていくには、師匠という存在が必要となる所以だ。名著と言われている書物を徹底的に読むということも含まれるだろう。自分を映し出してしまう底なしの鏡のようなものだ。




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